或る比較文で、何が「大きい」か「小さい」かなどは話者の期待によって違う。つまり、隠れた規準は対象に対する自分の期待だ。同じ物を他の観点から見れば、期待が違ったり無かったりするため、判断が違う。そこで、別の形容詞が使われているこの比較文は「期待規準」を持つ種の文である。
あとは2種があって、それから「日本を考える五つの話題」に戻そうと思います。僕はあまり言語学に詳しくないけれど、しばらく休んでからいつか鈴木孝夫さんのエッセーを読み続きたいと思います。
下手だけど、頑張ってみるしかない
或る比較文で、何が「大きい」か「小さい」かなどは話者の期待によって違う。つまり、隠れた規準は対象に対する自分の期待だ。同じ物を他の観点から見れば、期待が違ったり無かったりするため、判断が違う。そこで、別の形容詞が使われているこの比較文は「期待規準」を持つ種の文である。
「長い」や「大きい」のような二つ以上の事物の間にある関係を表現する相対的形容詞を使う文は、潜在的比較文と明示的比較文に分けられる。例えば、「AはBより大きい」などと言う時、比較の規準はBだとはっきり示しているため、「明示的比較文」と呼ばれる。一方、象を単に「大きい」と言った時、話者が無意識に他の動物と比較している必要がある。比較の規準を言わずに相対的形容詞を使っているこのような文章は「潜在的比較文」と筆者に呼ばれている。
同じ品詞であっても形容詞を大きく分けると二つの種類になる。一つは、「赤い」のような事物の性質を表す形容詞である。見るだけで、それ以上何も情報が要らず、「赤い」と判断できる。このような形容詞は「絶対的形容詞」と呼ばれている。その反面、もう一つは「長い短い」や「大きい小さい」のような対象が他の何かとの比較を表す「相対的形容詞」である。何かを「大きい」と判断するため、話者が規準を持っていなければならないという形容詞だ。
形容詞は、事物の性質を文字どおりに形容すると思われているようだが、実はそうではない場合が少なくない。性質を表していない形容詞がある。例えば、「遠い」「近い」という形容詞は対象の性質を表すのではなく、対象と話者の距離関係を表す。他の例では、「珍しい」の場合、性質自体ではなく、或る性質の希少を形容する。つまり、同じ「形容詞」というカテゴリーの言葉の中でも、どんなことを表すかは、言葉によって違う。