2007年8月11日土曜日

『ことばの変化の是非』の投稿の要約

日本を考える五つの話題』を続いて、今回は言葉の変化にめぐって28ページの『ことばの変化の是非』、ふたつの投稿を要約します。

まずは、岩間すみさんが投稿した「言葉は変化して当たり前」です。
「美しい日本語」は文化的あるいはNHK的な日本語ではなく、相手の言葉で話したり書いたりする言葉である。NHKのアナウンサーは誰にも通じるように話しているにすぎない。「若者言葉」はNHKのアナウンサーが使っている言葉と違っても、若者の間で通じるので別に乱れているとは言えない。百年前の乱れていると考えた言葉は現在の正しいとされている言葉であり、現在の若者言葉は百年後には正しい日本語と認められるだろう。

そして、滝沢知恵子さんが投稿した「日本語の美しさ失わないで」です。
「日本語は本来、美しい響きを持っている言葉だけど、今の状態が続くと正しく言葉が使える人が少なくなってしまう。いずれ若者が使っている言葉が公然と話されるようになるだろう。そのため、若者が日本語の言葉自体の美しさを味わえ、保護できるようになってほしい。だから、若者は彼氏か彼女を探す時、(筆者のような)ちゃんと敬語が使える人という条件を加えてみてほしい。

滝沢さんの投稿原文では、若者が言葉がうまく使える人と付き合ったほうが良いと提案するところ、滝沢さんが使った言葉が難しくなりましたので、まるで自分のことを考えて「私のような女性に付き合ったら」というふうに読んでしまいました。

2007年8月10日金曜日

『言葉は時代を映した文化・「乱れ」ではない若者言葉』の要約

今週、『日本を考える五つの話題』の『言葉は時代を映した文化・「乱れ」ではない若者言葉』とのエッセー(25ページ)を読みました。以下は僕の要約です。
 「ら抜き言葉」や「若者言葉」が貧弱で品のない言葉として年長世代に批判されており、日本語の「乱れ」だと主張されている。しきし、「ら抜き言葉」は最近出てきた流行ではない。西日本を中心に戦前から使われているそうで、当時の若者はもうおばさんやおじさんになっている。その上、「若者言葉」ははっきり定義されていない。例えば、よく挙げられている「~とか」「~なんか」「~みたいな」などのあいまい表現は、大人の「~と言いましょう」「~という見方もある」「私個人の意見と致しましては」などのあいまい表現と同じ役割を果たしている。いずれも相手との対立を避け、強調性を重んじる表現だ。つまり、若者が使っている言葉は「揺れ」や「乱れ」ではなく、日本語全体を構成している。全国各地方の方言、数々の外来語、伝統的な言い回しなどを組み合わせている個々の言葉が独自の文化を形成しているように、若者が使っている言葉も「若者言葉」という文化を形成しているのであり、日本の中にあるもう一つの文化にすぎない。

英語での若者言葉がなぜかイライラしますが、筆者である藤生竹志氏の意見は英語にも当たる気がします。

2007年8月8日水曜日

NTTグループの社長と会長にお目にかかった

今日、NTTの和田紀夫取締役会長と三浦惺代表取締役社長がサンノゼに設置しているNTTグループ子会社に訪問しました。そこで、僕が実際にお目にかかって(片言)日本語で挨拶や短い会話できる機会がありました。そして、名刺もいただきました。

同僚の中村さんがこのチャンスをつかんで、歓迎会で堂々三浦社長に挨拶しようとしました。僕も一緒に行きました。それまで、そんなに偉い人に一切に会ったことがなかったので、すごく緊張しました。でも、社長は意外に優しい方で、挨拶のほかに僕たちに営業などについて話してくださいました。ほっとしました。

そのあと、MCLの高梨社長が僕を和田会長に紹介してくださいました。会長は英語もできますが僕に日本語でも話していただきました。会ってから結構いい印象が残っています。会長も社長も想像よりずっと親しみやすい方でした。

NTTコムの仲間は信じてくれないかもしれない。。。