毎週の土曜日通っている日本語学校が先週期末試験を行いました。
僕は殆んど毎学期Practical Communications(略:プラコミ)というクラスを取っているのですが、授業で話題の記事や生徒たちが準備した話しを基づいて話し合うので、学期によって内容が違います。
ところで、今朝、プラコミの成績が発表されました。佐藤先生の「PCSA」のところです。僕の番号は「9267/4765」で、なんと96%取って、クラスでの最高得点でした。自慢ぽっくて申し訳ないけど、嬉しいです。
これから満点を目指して頑張ろう。
2007年6月14日木曜日
2007年6月4日月曜日
「人形の規準」の要約
『ことばと文化』で最後で紹介された比較文での隠れた規準は人形(ひとがた)の規準です。これは鈴木孝夫さんが発見なさた規準です。『ことばと文化』ではよく説明して下さいますが、以下は僕の簡単の要約です。
これでは、しばらく『ことばと文化』を休止して、『日本を考える五つの話題』に戻します。
「象は鼻が長い」などの団体全体を描写する時、実際に見ている鼻は話者が頭の中に持つ鼻というイメージと調和しないから「長い」と感じる。例えば「象は鼻が長い」の場合、一般的にこの規準であるイメージは動物全体や哺乳類全体ではないので、種の規準とは言えない。そして、「象は鼻が長い」と言う時、別に鼻の長さと太さを比較しているわけではないから、比較規準とも言えない。むしろ、「象は鼻が長い」と言うのは、頭に持つイメージは人間の鼻であり、人間の鼻に比べて象は鼻が長いと意味を表す。同じように「人は手が長い」とか人間全体に言及しようとしたら、規準は人間だからおかしく聞こえる。このような比較文で隠れた規準は人間であるから「人形の規準」と筆者は名付けた。
これでは、しばらく『ことばと文化』を休止して、『日本を考える五つの話題』に戻します。
2007年6月3日日曜日
「適格規準」の要約
第4種名の隠れた規準は適格規準となって、鈴木孝夫さんの考えを簡単に要約すると、僕がこうしました:
比較文で或る目的に事物が適当かどうかを表す形容詞は「適格規準」を持つ形容詞である。例えば、「広い部屋」と言うのは、「大きい部屋」という種の規準を持つ表現と違い、その部屋を何人の人が何の目的に使うかによって決まることである。そして、「広い・狭い」のように殆んど適格規準で使われている形容詞である上、客観的に比較する時は別として、多くの形容詞は主観的な個人の判断を下す場合、適格規準を表す。または、適格規準を表す潜在比較文の中には、「きつい・ぴったり」や「だばだぶ・ゆったり」のように、はっきり評価する表現が少なくない。
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